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インド仏教最高位の日本人僧侶(82)が命をかけて52年目の闘争か?

投稿日:2018年7月21日 更新日:

仏教はインドで始まりました。

現代では仏教以外にヒンドゥー教徒の割合も80%を占め、仏教徒はたった1%にまで落ちています。

しかし、ヒンドゥー教のカースト最下層とされる「不可触民」と呼ばれる人たちは不満を抱いており、政府に無許可で仏教を信仰しています。

これを考慮すると、実質的にインドの仏教徒は1億5千万人以上にも上ります。

インド仏教のリーダーは日本人佐々井秀嶺さん

インド仏教の最高位にいるのは、実は日本人男性の佐々井秀嶺(ささいしゅうれい)さん82歳です。

佐々井秀嶺さんはこれまで3回の自殺未遂を経験し、32歳でインドへ渡っています。

そしてインドで、1億5000万人もの仏教徒の最高指導者へと上りつめたのです。
今回はそんな佐々井秀嶺さんに、インド52年目の覚悟を語ってもらいました。

ヒンドゥー教から仏教に改宗したインドだったが…

インド憲法によると、「不可触」という言葉を使ってはいけないことになっています。
しかしながら実際、カーストによる差別は完全にはなくなっていません。

この差別を撲滅しようと、1956年初代インド法務大臣だったアンベードカルが、インド中央ナグプールで、不可触民50万人と一緒にヒンドゥーから仏教に改宗したのです!

アンベードカルは仏教を「自由、平等、博愛の宗教」として信仰していましたが、改宗してわずか2カ月後に急死してしまいます…。

インド仏教はこれを機に停滞してしまいました。

日本で3度の自殺未遂を経験した佐々井秀嶺さんは、1967年、32歳でインドに渡りました。
その翌年、不思議なことに夢のお告げがあり、導かれるようにしてナグプールで布教活動をスタートさせたのです。
そしてアンベードカルに深く影響されます。

佐々井秀嶺さん:「日本人でインド民衆の中心にいたのは私1人です。
夢の中で、龍樹菩薩(2世紀頃のインド人僧侶)のお告げを受けて、ナグプールに行きました。

するともう一人、アンベードカル菩薩というのがいたんです。
インド仏教復興の父だという人です。

お坊さんなので、インド仏教再興のお手伝いをしないといけないと思いました。」

不法滞在で逮捕、民衆60万人の署名を集める

佐々井秀嶺さんはお金も名誉も求めず、インドで一心不乱に布教活動を行っていました。
そのうちインド民衆から、だんだんと支持されるようになってきます。

しかし1987年、ビザが切れてしまい、不法滞在で逮捕されてしまいます。
この時立ちあがったのが、佐々井秀嶺さんが尊敬していたインドの民衆たちです。

佐々井秀嶺さんを守るため、60万人もの署名が集まりました。

そして翌年1988年、佐々井秀嶺さんはインド国籍を取得します。
インド名は「アーリヤ・ナーガールジュナ」とします。

佐々井秀嶺さん:「私はインドに帰化するために行ったのではありません。
大きな使命を受けたからです。

その使命を達成するためにも、日本に帰ることができなんですよ。
だからインド国籍をとりました。」

インドのために考えを捨てること

佐々井秀嶺さん:「インドで生きていくには、まずはその考えを捨てなければいけないと思いました。

インドは私にとって第2の故郷です。
日本が生まれた国。

実際は日本よりも、インドにいる年数の方が多いです。」

インド政府で仏教代表とされる

2003年、インド政府の少数者委員会の仏教代表に任命された佐々井秀嶺さん。
正式に、インド仏教最高指導者(任期3年)と認められたのです。

佐々井秀嶺さん:「私は自分を最高指導者なんて言ったことはありません。
俺はインド仏教の奴隷です。
彼らは奴隷から仏教徒になったんです。
そして私もその奴隷です。

日本では最高指導者と呼びますが、夢の中でも私はそんなこといったことないですし、考えもしません。
単にインド仏教の奴隷なのです。」

と、佐々井秀嶺さんはあくまで自分はインド仏教の奴隷だと、断言しました。

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