7月14日、宇都宮市文化会館で「稲川淳二の怪談ナイト」がスタートしました!
稲川淳二が舞台を上から下へと歩きながら、観客一人ひとりに囁くように「ただいま」と手を振っていきます。
満場の客席からも喜びの声援が上がります。
71歳になる稲川淳二「まさか怪談話が職業になるとは思わなかった」
今年8月で71歳になる稲川淳二。今年もこうして怪談話を語れて有難いと話します。
稲川淳二:「昔から怪談は好きでした。でもまさか仕事にすることになるとは思ってなかったので、人生って本当に不思議ですよね。」
稲川淳二の怪談ナイトは、今年で26年目を迎えます。
怪談ナイトは全国54公演が決定していて、擬音を織り交ぜ、たたみかけるような口調で観客を引きこんでいきます。
そもそも桑沢デザイン研究所を出て、工業デザイナーになった稲川淳二が、怪談を始めたきっかけは偶然の出来事でした。
稲川淳二:「27歳の時だったのですが、友達の結婚披露宴で司会をして大失敗したことがあるんです。
でもそれがおもしろかったみたいで、ラジオ番組にまでスカウトされました。」
数日後、ニッポン放送「オールナイトニッポン」のパーソナリティに抜擢された稲川淳二。
独特の話し方がリスナーにも受けて、じわじわと人気を高めていきます。
そのうち番組で披露した怪談話が評判となり、怪談話をリクエストされる機会も増えていきました。
芸能界で活躍の場も広がり、リアクションがおもしろいことでも人気が上がっていきます。
そして55歳で、自身が大好きな怪談話専門にしていくことを決意しました。
1993年に初めて「怪談ナイト」を催したら、意外と楽しくて、生前、山城新伍さんに「仕事を遊んじゃいけないけど、遊びが仕事になったらいいね」と言われたことがありました。
年齢を重ねてテレビの仕事がめっきり減ってしまったので怪談を…というのはお客さんに対して失礼になるから、元気なうちにシフトしていこうと思ったのです。」
そして今では怪談話の語り部として一躍有名となりましが、
稲川淳二:「いざやってみると、疲れもひどくてボロボロです。」と苦笑します。
夏~秋とツアーで全国を巡り、終われば翌年の準備に移ります。
毎年オリジナルの新作怪談を発表していますが、稲川淳二が語るのは、現代社会どこでも起こり得そうな身近な恐怖体験です。
だからこそリアルで、怖おもしろいとして、全国から多くの人が足を運ぶのです。
稲川淳二が話す怪談話は、自身の想像だけで成り立っている話ではありません。
実際に地元の人から聞いた話を土台として、取材まで行って怪談話を仕上げているのです。
必要があれば再取材することもあります。
イマジネーションだけに頼らず、取材までしていて手がこんでいます。
稲川淳二:「いざ真剣にやってみると、次はもっといい仕事にトライしたいと思うので手が抜けません。
私には怪談話の師匠はいないし、プロから教わったわけでもありません。
原点は、母親が聞かせてくれた怪談です。」
戦後は娯楽が少ない時代でした。
そんな中、毎晩母親が語ってくれた怪談話は、稲川淳二にとって身近な楽しみとなったのでしょう。
稲川淳二:「東京の夜も真っ暗。幽霊がどこから出てきてもおかしくないほど暗い夜でした。弟と並んで布団に入ると、私たちの間にお袋が座って、これはね、私が子供の頃にあった本当の話なんだよ…と、ポツポツと話してくれたのです。そりゃ怖かったですね~。」
稲川の独特な口調は、母親ゆずりのもの。
母から聞いた怪談話を学校で話すと友達も興味しんしんで、教室では、「稲川君、怪談やって!」と頼まれ、話すと喜んでくれたと言います。
稲川淳二:「怪談話のおかがで女の子からモテました。怪談話は人との縁をつなげてくれるんです。」