芸能界で幅広い分野で活躍していた女優・樹木希林さんが9月15日、東京都内の自宅で亡くなりました。75歳でした。
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樹木希林の来歴
樹木希林さんの出身は文学座。
1964年、ドラマ「七人の孫」、「寺内貫太郎一家」などに出演し、人気を集めました。「ムー一族」で共演した郷ひろみとはデュエット曲「お化けのロック」や「林檎殺人事件」を披露し、話題になりました。
CMでも好感度が高く、特に富士フィルムなどのテレビCMで知られています。
連続テレビ小説「はね駒」で演技派女優としての地位を確立
1986年に放送された連続テレビ小説「はね駒」では、芸術選奨文部大臣賞を受賞するなど、個性的で存在感のある演技が認められました。
映画「東京タワーオカンとボクと、時々、オトン」と「わが母の記」では、日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞を受賞しています。2014年には旭日小綬章を受章するなど、実力派女優としても、着実と階段を上がっていったのです。
左目の失明、乳がん、がんの全身転移を公表
樹木希林さんは網膜剥離のため左目を失明したことや、乳がんの手術、2013年には全身にがんが転移していることを公表していました。
2018年も公開作品が充実していた
そんな中でも多くの作品、番組にオファーがあり、今年も出演作品が続々と公開されました。
5月には「モリのいる場所」が公開され、6月にはカンヌ国際映画祭で最優秀賞のパルムドールに選ばれた「万引き家族」。
そして来月10月13日公開の「日日是好日」で出演しています。
今年7月末には、北米最大の日本映画祭「第12回ジャパン・カッツ!」で、日本映画界に貢献している監督や俳優に贈られる「CUT ABOVE(カット・アバブ)」賞を受賞しました。
病気を抱えながらもアメリカニューヨークで開催された授賞式に出席するなど、パワフルな姿を見せていました。
8月13日に転倒
しかし8月13日に知人宅で転倒し、左大腿骨を骨折してしまいます。
8月15日に手術を受けました。
一時は危篤状態に陥ったものの、イラスト付きのコメントを出せるまで回復した様子が、義理の息子で俳優の本木雅弘から伝えられていました。
しかし9月15日、自宅で家族に囲まれながら亡くなりました。
樹木希林のプロフィール
生年月日:1943年1月15日~2018年9月15日
出身地:東京都千代田区神田
配偶者:夫はロック歌手の内田裕也。(別居生活を長く続けていた)
娘は内田也哉子とその夫の本木雅弘がいる。
樹木希林の母親は、神保町でカフェ「東宝」を経営していた。
市ヶ谷にある千代田女学園に入学後、演劇部に所属しながら薬剤師を目指していましたが、大学受験直前にスキーで足を怪我したため、大学進学を諦める。
1961年に文学座付属演劇研究所に入所し、「悠木千帆」という芸名で女優活動を始める。
当時はなかなか想像しづらい若々しいファッションで街に繰り出していた。
1964年に森繁久彌主演のテレビドラマ「七人の孫」にレギュラー出演し、知名度が上がる。
1965年に文学座の正座員となるが、1966年に文学座を退団。
その後は個性派女優として数々のテレビドラマや映画、舞台に出演する。
20代の頃から老人の役を演じ、老けた役が定番になっていた。
1974年に放送されたドラマ「寺内貫太郎一家」では、小林亜星が演じた主役の貫太郎の実母を演じたことで話題となった。
実年齢は小林より10歳以上若かったため、老けたファッションやメイクで母親のように見せた。
当時は30代前半で、役の年齢とマッチしていなかったこともあり、撮影中は指ぬき手袋を外さなかった。
寺内家の母屋で騒ぎが始まると、騒ぎから逃れるため自分の住む離れに駆け込み、仏壇の横に貼られた沢田研二のポスターを眺めながら「ジュリーィィィ!」と、腰を振って悶えるシーンが有名だ。