演技派実力派女優として、不動の地位を確率している吉田羊さん(年齢非公表)の2020年の予定は、どうやら白紙のようです。
それには事情があったのです。
来年から英国・ロンドンに演技の勉強をしに行く?
映画関係者によると、吉田羊の強い意思により、一時女優業を休止するということです。
そしてイギリスのロンドンへ演技の勉強をしに、留学するとのことです。
だから2020年の国内でのスケジュールが白紙になっているのですね。
2018年には、2本の映画に主演し、出演した作品は5作品にも上ります。
12月3日に出された「2018年タレントCM起用社数ランキング」では、女性部門の4位にランクインしました。
ちなみに契約社数は11社です。
芸能活動は順風満帆に見える吉田羊さんですが、どうしてロンドンへの留学を決意したのでしょうか。
ロンドン留学のきっかけは…
2020年からロンドンへ留学するという大きな決意をしたきっかけは、10月に主演した映画「ハナレイ・ベイ」でした。
撮影は2017年8~9月に及びました。
ハワイ・カウアイ島を中心に行われたのです。
吉田羊は最愛の息子を事故で亡くしたシングルマザーという役どころでした。
監督は孤独や悲壮感を演技に反映するためにも、たった一人で渡米するよう言い渡したのです。
共演者と接することまで制限され、常に孤立した状態に置かれていたとのことです。
スタッフの半数はアメリカ人で、台詞は約半分が英語です。
台詞ももちろん英語です。監督からは次々とダメ出しの連続をされます。
撮影がない日でも英会話の勉強をして、心身共に疲れ果てていたようです。
自分の弱さも実感し、女優としての作品への気持の入れ方などについて、改めて考え直すきっかけになったようです。
もう一度演技を勉強したいという気持ちが強くなり、留学を決心したようです。
映画上映を前に、プレミア上映会に参加した吉田羊は、クランクイン初日からコテンパンにやられたと話しています。
作品が終わったら女優を引退しようと思ったくらい追いつめられた撮影期間だったようです。
女優として、まさにターニングポイントとなった作品になりました。
吉田羊の留学について事務所の反応は?
吉田羊が所属する事務所は、吉田羊の英国留学について、どのように感じているのでしょうか。
尋ねてみたところ、期日までの返答が得られませんでした…。
2020年1月には、吉田羊が出演する特別番組が放送され、2月にも吉田羊が出演する「七つの会議」が控えています。
いずれにしても、どれも撮影済みです。
すでにロンドンで行く演技の学校も決まっているようです。
吉田羊によると、「ロンドンで舞台に立てるようになるまで頑張りたい」ということで、本場のオーディションに挑むことも視野に入れていると言います。
留学期間は半年ほどだと話しています。
半年以内であれば、事前にビザをとっておく必要がないので、気軽に留学できるからとのこと。
留学エージェントでもある「ウィンテック留学センター」の担当者です。
イギリスでは、大学の演劇学校は基本的に3年間です。
短期でも1年が多いと演劇関係者は話しています。
ロンドンには、民間の演劇学校も多いです。王立演劇学校は、映画「羊たちの沈黙」を代表作に持つアンソニー・ホプキンスを輩出しました。
サマースクールなど、夏季限定のコースも充実していましたが、吉田羊は民間の学校に通う可能性は極めて高いようです。
英国留学は、吉田羊をさらに成長させてくれるステップアップとなるのでしょうか。
2020年から国内での活動がなくなってしまうのは、これからも目が離せません!
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そもそも吉田羊ってどんな女優?
出身地:福岡県久留米市
誕生日:2月3日
身長:163センチ
血液型:O型
所属事務所:ORANKU
家族構成:5人兄弟(兄2人・姉2人)の末っ子
趣味:スキューバダイビング、アンティークの着物
特技:ピアノ、博多弁
資格:漢字検定2級
憧れの俳優:田中裕子、西島秀俊
好きなアーティスト:椎名林檎
一人カラオケに行くのも好きで、3時間ひたすら熱唱することもあると言います。
カラオケの十八番は椎名林檎の「罪と罰」。中島美由紀です。
落ち込んだ時は、中山美穂の「幸せになるために」を号泣しながら歌うと言います。
福岡県久留米市で、牧師の家庭に生まれました。
幼少期から目立ちたがり屋で、一人芝居をしたり、みんなの前で歌ったりするのが好きでした。
松田聖子や中森明菜の物真似をすることもありました。
トイレの中で一人芝居をしていたこともありました。
誰かを演じることが大好きで、中学1年生までおままごとのように続いたと言います。
高校は久留米信愛女学院高校に進学し、3年生の時、体育祭で応援団長を務めて注目を浴び、後輩の間でファンクラブのようなものができたなど、人気者でした。
これも、女優に興味を持ち始めるきっかけとなりました。
高校を卒業すると久留米市から上京します。
金沢市内の大学に通う姉を頼り、金沢で生活していたこともありました。
その間は喫茶店でアルバイトをしていました。