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TKO木下隆行、借金取りから追いかけられ転校11回…夜逃げ家族でつついた貧乏鍋の想い出を明かす

投稿日:2019年2月10日 更新日:

TKO木下隆行の家庭は幼少期、どうやら夜逃げ一家だったようです。

借金取りから貼られた「金返せ!」「ウジ虫!」「殺すぞ!」という脅迫めいた貼り紙が何度も家に貼られ、借金に追われていたのです。

TKOの木下隆行が話すには、父親の会社がつぶれ、借金が1億円以上にもなったというのです。

4歳頃から福岡や大阪を転々としており、全部で11回、転校を繰り返していたと話します。

要するに、夜逃げを繰り返していたのです。

芸人で元貧乏という人物は多いので、今や珍しくありません。

しかしTKOの木下隆行が言うには、超極貧生活ならネタの1,2個になって面白いが、夜逃げレベルだとお坊ちゃんにとられてしまうとのことです。

ちなみに当時、TKOの木下隆行の家庭は4人兄弟で、育ち盛りの時期で大変だったと言います。

成長期にある子供を4人抱えているにも関わらず、莫大な借金を抱えています。

それなのにTKOの木下隆行は、ガチで借金を抱えて必死だとは想いもよらず、深刻な貧乏状態に気付かなかったそうです。

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その理由は…

木下隆行:「もうね、家族が僕に借金地獄という状況を必死で隠そうとしていたんですよ。
特に僕は末っ子だったし、父親も見栄があったので、タカ坊にはばらすなって口封じしていたんです。

夏休みは毎年全員で旅行するんですが、クリスマスや誕生日もちゃんと祝ってもらってた。

だから誕生日には超合金のロボットをおねだりして、普通に買ってくれてたんですよ。
それだから家が貧乏だなんて、普通思わないじゃないですか!?

落とし玉だって、中学の時は36000円も集まって、超お金持ってた方なんですよ。
芸人で元貧乏だった人の中に、お年玉で買い食いできた人、いないでしょ?」

言われてみればその通りです。

借金に追われていたのが事実にせよ、父親が必死で末っ子にだけはバレないようにと、見栄を張って贅沢をさせてあげていたことを考えると、親の愛情を感じます。

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家族の夜のエピソード

木下隆行は、当時、家族で夜ドライブをした時のエピソードを語ってくれました。
時々夜になると、「ドライブ行くぞ!」と言われ、2時間ほど家をあけたことがあったようです。

アパートに戻ってみると、両親は「車で待ってて」と、子供を残してアパートに向かう。

それを木下隆行は「謎の10分」と呼んでいたそうですが、他の兄姉は、何をしているのか事情を知っていたとのことです

親についていこうとする木下隆行を、がっちりと兄姉に抑えつけられたいたと言います。
両親が目にしたものは、部屋の扉に付いている張り紙です。

「ウジ虫」

「カネ返せ!」

「殺すぞ!」

という汚い言葉が書かれた貼り紙を貼られていたため、両親はそれを木下隆行に見せたくないがために、10分ほどかけて、2人ではがしに行っていました。

そして、夜のドライブを楽しんだかと思ったら、なぜか引っ越しをするというパターン。
しかも翌朝というのではなく、その夜中に引っ越すのです。

焼き肉やをやりたいという父の夢を叶える

木下家は、借金を抱えながらも末っ子に事実を隠すため、奇妙なお坊ちゃま生活を続けていたのです。

しかし木下隆行が18歳になった時、父親が癌になってしまいます。
これが木下隆行の人生にとっても、ターニングポイントとなりました。

木下隆行:「借金生活に疲れ果てて、父はもうボロボロで。心を支えてくれていたのは、家が貧乏だと全然気づかずに育った甘ったれ小僧だったんです。

そのとにかく甘えん坊体質だった僕と、いつか焼き肉屋を開きたいという強い希望だけが生きがいだったんです。

父の夢を叶えるためにも、就職していた兄貴たちが金を集めて、家族全員で焼き肉店を出すことになったんです。

父もね、1週間ぽっちだけど厨房に立って。

何年も夢見たことがようやく叶った…!という直後に、亡くなりました。」

その時木下隆行は初めて、父親に1億円以上もの借金があることを知らされました。

兄は木下隆行に、この店人気にしてから返すから、お前はとりあえず自由にしてろ!
と言ってくれ、木下隆行は、芸人になることを決意。

翌年、松竹に入って芸人を本格的に目指すようになります。

その時、焼き肉店は末っ子が芸人デビューをしてから、新しいメニューを登場させました。

それは後に年収20億円となる「きのしたグループ」の看板メニュー「鉄板鍋」でした。

「崖に落ちようか」と何度も言われてきた木下隆行が4歳の頃、借金生活が真底つらくなった母親が、子供を車に乗せて「崖から落ちようか」と言いだしたこともあったと言います。

そんな言葉が出るくらい、借金生活がしんどかったのでしょう。

これを聞いた兄姉たちは、みんな号泣していましたが、木下隆行だけは何が何だか分からない状態だったと言います。

そのため、4歳だった木下隆行から出た言葉は、

「おとんともう浦島太郎ごっこできないの?」

という純粋な疑問だったのです。

母親もこの純真無垢な木下隆行の言葉を聞いて、崖に落ちることを思い止まったと言います。

そしてその夜、家族みんなで食べたのが、「鶏ムネ肉と白菜の鍋」だったのです。
当時暮らしていたのは福岡で、母親は畑のお手伝いをしていたのか、白菜を沢山もらっていました。

また、福岡はとにかく鶏肉が安くて、一番安かったムネ肉を醤油で炊くだけの貧乏鍋
を食べていたそうです。

しかもその夜は、家族で泣きながら「うまい、うまい!」といって食べていたのです。
そのため、木下隆行は子供の頃からこの貧乏鍋が大好きだったようです。
一家心中を本気で考えた夜。

芸人を目指す甘えん坊への、強い元気の源となったのでした。

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貧乏鍋が焼き肉店の看板メニューに!?

木下隆行が芸人デビューを果たした時に、ちょうど新メニューとして焼き肉店に登場した鉄板鍋。

貧乏鍋がどんどん進化していき、チェーンの焼き肉店の看板メニューになって成功するまでになったのです。
これに負けないようにと、木下隆行も芸風を広げる努力をしてきました。
今の木下隆行があるのは、あのお鍋のおかげだそうです。

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