3月24日、歌手の森昌子(60)が、年内で芸能界を引退することを宣言しました。
引退表明はサンケイスポーツを通じて。
ファンへのコメントでは、
「還暦を迎え、人生の残されたわずかな時間を、少しでも充実させたいと思いました。」と、
と、引退に至った訳を公開しました。
目次
森昌子、引退コンサートを随時開催中
森昌子は2018年10月より、還暦コンサートツアーを開催しています。
このコンサートでは、できる限りファンの近くまで足を運び、直接感謝の気持ちを伝えたいという想いで展開されています。
昨年12月までには、全国100か所以上を訪れて、生の歌声を届けています。
森昌子は歌手としての活動だけではなく、バラエティー番組でも活躍していました。
そんな人気芸能人である森昌子が引退することになり、多くのファンも衝撃を受けたことでしょう。
サンケイスポーツに寄せられたメッセージ
森昌子は、サンケイスポーツから、ファンにメッセージを送りました。
森昌子:「突然ですが、年内で芸能界から引退させて頂くことをご報告いたします。
人生の残された貴重な時間をどのように過ごすか考えた時、芸能活動以外のことに時間を割いて、人生を今まで以上に豊かにしたいと思ったのです。」
と、私生活を充実させたい胸中を明かしました。
引退の決意はスパっとしたというよりも、迷いに迷って決断したことでした。
残りの人生を考え直すきっかけとなったのは?
芸能界の引退を決意するにあたっては、森昌子の恩人が亡くなったことにあるようです。
森昌子がデビューしたのは13歳のこと。
デビュー当時から、結婚一時引退していた時期も含めると、46年間お世話になったという家族のような恩人が、2018年の夏に、がんのために死去しました。
これがきっかけとなり、森昌子は自分の残された人生について、考え直すようになりました。
森昌子自身も、2009年には子宮頸がんとなり、闘病生活を経験しています。
心身ともに休養する必要性を、体感していたとのことです。
また、2005年に歌手・森進一(71)と離婚し、シングルマザーとして3人の息子を育てるため、芸能界に復帰したことがあります。
そして14年間やりきった…!という感無量の気持ちも強かったのでしょう。
森昌子の長男もアーティスト
森昌子の長男は、ロックバンド・ONE OK ROCKのボーカル、Taka(30)として活躍しており、日本のみならず、世界にもその名が広まっています。
次男(28)は会社員で、結婚し、新たな家庭を築いています。
三男もロックバンド・MY FIRST STORYのボーカル、Hiro(25)として活動しており、子供が全員自立して巣立っている状態です。
子育てが完全に終了した森昌子。
今後は自分のためだけに時間を使いたいと思うようになりました。
2018年10月で、森昌子は還暦を迎えました。元々は、この節目である還暦を迎えると共に、芸能界を引退する予定で所属事務所に相談しましたが、
事務所からは、「全国のファンに、感謝の気持ちを伝えきってからでも、遅くないのでは?」と提案されます。
そして森昌子自身も、ファンのおかげで、幸せな歌手人生が送れたことを直接感謝しなければと想い、引退を1年延期することにしたのです。
森昌子、引退後の生活は?
年内をもって引退する森昌子。
将来に向けて、何かきっちりと予定を組んでいるわけでもなく、まだ白紙のノ―プラン状態です。
しかし森昌子としては、今は明日の仕事の準備に追われる日々であり、全部の仕事をやり遂げてから、今後の予定について、具体的に考えていきたいとのことです。
これまで20年もの長い休業から、奇跡の復活を遂げた森昌子。
昭和の代表的な歌手の一人であり、全国各地にファンがいます。
2020年末まで、「感謝の御礼参りツアー」と称し、全国のファンに最後のお別れを告げていきます。
森昌子のプロフィール
- 生年月日:1958年10月13日(60歳)
- 出身:栃木県宇都宮市
- 最終学歴:堀越高等学校
森昌子の父親は食品会社で勤めていたことがあり、兼農家を営んでいました。
音楽好きな家族で、厳しく歌のレッスンを受けるようになります。
小学4年生の時に東京に移り、人見知りが激しくていじめにあったため、親に内緒で不登校だった時期もありました。
13歳の時、日本テレビ主催の「スター誕生!」で、初代グランドチャンピオンに輝き、人生が変わっていきます。
この番組に応募したのは森昌子の意思ではなく、極度の人見知りを直してほしいという親戚の叔母が申し込んだものでした。
オーディション当日は、「洋服を買ってあげるついでに」と言われ、歌を人前で披露させられたということです。
グランドチャンピオンを獲得してからは、さまざまな事務所からオファーがかかり、芸能界に勧誘されます。
父親は反対しましたが、家庭が貧しく、母親の身体も弱かったことからも、家計の援助になるだろうと森昌子自身が考え、父を説得して、芸能界デビューを果たします。
ホリプロに所属することを決めますが、その理由は、学問と仕事の両立について、理解ある事務所だったからです。