ひぽぽたます

Life is one time only

トレンド

「肩書き」を乗り越えた後の心地いい日々とは?賀来賢人が焦ってばかりの20代を終えた

投稿日:

平成元年生まれの俳優・賀来賢人が、今日7月3日に30歳を迎えました。

賀来賢人:「三橋!って役名で呼ばれるんですよ、子供に囲まれて。その時ああ、自分もようやく30になって知られるようになったのかぁって思えるようになりました。」

昨年の秋に放送されたドラマ「今日から俺は!!」の主演を務め、本格的に人気になりました。

CMでのオファーも相次ぎ、演技は俳優として広く認知されるようになりました。

役者になりたいと漠然と賀来賢人が思ったのは10代の終わり頃だと言います。

賀来賢人:「初めのうちはバイト感覚で何をしているのか自分でもよくわかりませんでした。スカウトで業界に入ったので、このままトントン拍子でいくんだろうなと勝手に思い込んでて。

でも実際フタを開けてみたら全然違ったんです。

年齢の近い俳優がキラキラ輝きながら活躍していて、みんなすごい!自分もなんとかしなきゃ…!て焦る気持ちばっかりで。」

今日から俺は!!の役から、最近は不良高校生のイメージが強くついてしまいましたが、実際は私立中高一貫校出身のおぼっちゃま。

青山学院大学では経営学を専攻するものの、経営に特別興味があったわけではありませんでした。多くの大学生らしく、ただ何となくやりたいことを探しに…というフワフワした気持ちでした。

そんな中、20歳で初めて映画「銀色の雨」で主役を獲得します。

芝居の難しさとものづくりの楽しさを知ってからは、俳優1本に絞ります。
しかし大学中退を決意します。

賀来賢人:「映画を経験し、何かを本気でやろうと決心したと話しています。

両親にはせめて大学を卒業してほしいと言われてきましたが、もうそういう気持ちでいられなかったので、申し訳ない想いはあったと話します。

謝り、理解してもらい、後は今後の自分の頑張る姿を見せるしかない!という気持ちでした。」と話します。

賀来賢人の主演する映画も上映され、大学も辞め、さぁ華やかな俳優人生の幕開け…!と、そんな甘い展開にはなりませんでした。

自分が期待していた程、仕事は入ってこなかったのです。

勉強するつもりで映画や舞台を1年間観続ける

賀来賢人:「21、22歳の頃ですかね、映画を1日に5~6本見たり、暇さえあれば舞台に行ったりしてました。

1年くらいとにかくいろんな作品を見まくって、何をしたら現状を切り抜けられるか分からないから、とにかく勉強しているつもりで見ていました。」

現在はもう、勉強するという意味で他人の芝居を見ることはないとのことです。

自分は自分、他人は他人という概念をもっています。

演技については、普通に生活していく中でこそ培われていると賀来賢人は話しています。

賀来賢人:「仕事がなくて焦った時も、大丈夫、何とかなるからって言い聞かせていました。これね、俺が勝手に自分教って呼んでるんですけ、自分を神様にして、自分の宗教を作るようなイメージです。

自分にできないことは1つもない!ととにかく信じ込むんです。大体いい方向にいきますね、これ。自己マインドコントロールというか、仕事もそれで増えていったのだと思います。これ本当ですよ!」

自分教のおかげなのか、やがて本当にテレビのオファーも増えて、NHKの連続テレビ小説や大河ドラマという規模の大きな作品にも参加するようになりました。

賀来賢人:「さっきの話と矛盾しちゃうんですけど、やっぱり焦りはあって。いや、まだ違うこうじゃない!みたいな。何が自分の表現なんだろうって、そんな時期でした。」

結婚したことでさらに責任感が生まれた

2016年には結婚。すでに多数の作品に出演していましが、賀来賢人には成功しているという安心館はなかったとのことです。

家族を得たことで新たな責任感が生まれ、改めて役者としての焦りを感じました。順調ではなかった上に、自分の理想もどんどん高くなっていく。

結婚後が一番しんどかったかもしれないですね~。

このままじゃダメだ!と思う気持ちが強くて。

でもある時もういつ消えてもいいやって開き直れたんです。
この際、自分のやりたい表現を思いっきりやってみようと心掛けるようにしたんです。
そこからいい方向に進んでいった気がします。

たくさんの人に救われて今があるような気がします。」

賀来賢人の才能を発掘したのは、劇作家の福田雄一さんです。
賀来賢人にとって、「一番厳しい人」だということです。

面白くない時は、面白くないと率直にコメントしてくれるんです。

もう肩書きに振り回されない

俳優の賀来賢人には、常に名前よりも肩書きがついて回ってきました。
大学を中退していきなり飛び込んだ役者の世界。

思うようにいかず、30歳で芽が出なければ役者は諦めようと決めていました。
そのため、全然仕事がこなかった20代は、焦燥感を抱え続けて不安な日々。

それが今では街を歩ければお子さんから「三橋!」と役の名前で声がかかります。

コメディーの才能を開花させ、肩書きから卒業した賀来賢人は、仕事に妻との子育てと、プライベートも仕事も充実しています。

-トレンド